ペットの最期……声はちゃんと届いている。看取れなかったとしても心は側にある
ペットちゃんと過ごす、幸せな日々。
しかし、いつかは必ず別れはやってきます。
大事な家族の一員だからこそ、最期の瞬間まで、できるだけ側にいてあげたいですよね。
しかし「看取れなかった」と涙を流す方は少なくありません。
「一人で逝かせてしまった」と自分を責め続けて、深刻なペットロスを発症することも……。
「看取り」ができないと、ペットちゃんは寂しい思いをしながら旅立つのでしょうか?
私は、そうは思いません。
看取れても看取れなくても、ペットちゃんと飼い主さんの絆は変わりません。なにより、「看取れなかった」ではなくて、ペットちゃん自身が「看取らせたくなかった」のかもしれないのです。
目次
最後の1秒まで、ペットちゃんは飼い主を愛している
ペットちゃんが動かなくなってきて、「いよいよか……」という時。
お客様からこのような話を聞くことがよくあります。
「長い時間動かなかったけれど、一番かわいがっていた家族が帰宅したら首を持ち上げてくれた」「ペットにそっと声をかけたら返事をしてくれた」など、どれもペットちゃんの絆を感じるエピソードばかり。
ペットちゃんの体は動かなくなってきても、脳はまだ動いています。
家族が寄り添ってくれればその温もりを感じたり、話し声を聞いたりしているのです。
ただ、それに対して「反応できない」だけ。
ペットちゃんは飼い主さんやご家族の声が大好きです。
体をなでながら、たくさん声をかけてあげてください。
温もり、声、におい……たくさんの「大好き」に包まれたペットちゃんは、きっと穏やかな気持ちで旅立てるでしょう。
息を引き取ってしまっても、24時間は耳が聞こえるといわれています。
反応はできませんが、ちゃんと声は届くはずです。「ありがとう」の言葉で、やさしく送り出してあげてください。
ペットちゃんの最期を、看取れた・看取れなかった割合
株式会社PLAN-Bがおこなったアンケート調査によると、愛犬を「看取ることができた」と回答した割合は59.7%、「看取ることができなかった」は40.3%でした。
飼い主さんの多くが「看取りたい」と考える傾向があることを踏まえると、「看取ることができた」の割合はいささか少ないように感じます。
社会で生きる私たちは、ペットちゃんの寿命が近いことを知りつつも、仕事や学校を休むわけにはいきません。看取りのために無理に休んだとしても、1~2日が限度ではないでしょうか。このように考えると、「看取り」はなかなか難しいことが分かります。
「看取れなかった」と回答している方も、実際は「その日は休みを取ってできるだけペットの側にいたけれど、私がトイレに行っている間に息を引き取っていた」というように、ほんの少しのタイミングのズレで看取りが叶わなかったケースも目立ちます。
1分1秒、ずっと付きっきりというわけにはいきませんから、現実的に「看取り」は難しいですよね……。
ペットちゃんの最期を看取れた方へ
ペットちゃんの最期……。
日本では「看取りが望ましい」という価値観が根強いですが、実際に看取れた方でも「満足」と言いきる方は少ないのではないでしょうか。
ペットちゃんは死の直前になると、容体が急変することがあります。
苦しむペットちゃんの姿に直面して、自らの非力さを嘆いた方もいるでしょう。あるいは、「動物病院に連れて行っていれば」あるいは「動物病院なんかに連れて行ったから」など、「たら・れば」の思考に陥ってしまう方も……。
実際に「死」の一部始終に立ち会ったからこその、後悔や罪悪感。
看取れたとしても、非情な現実はなかなか呑み込めませんよね。
ペットちゃんの最期を看取れなかった方へ
「看取ると決めていたのに、少し目を離した隙に天国へ行ってしまった」「まさか今日亡くなるなんて思わなかった」など、最期を看取れなかったことを悔やむ方は多くいます。
しかし、「看取り」は人間の風習であり、動物界の事情とは異なります。
あなたは「看取りたい」と願っていたかもしれませんが、ペットちゃんは「見ないで」と思っていたかもしれないのです。
すべての動物が持つ、野生の本能。
動物は自分が弱っているとき、必死に不調を隠そうとします。そのように振る舞わなければ敵に襲われる可能性があるからです。亡くなるときも同じです。犬も猫も、基本的には一人でひっそりと旅立ちます。
人間と暮らしているペットちゃんにも、野生の本能はまだまだ残っているでしょう。その本能にしたがって、「飼い主が目を離した隙に……」と考えたかもしれないのです。
つまり、「看取れなかった」のではなく、ペットちゃん自身が「看取らせたくなかった」。
「これがこの子の選択なんだ」と受け入れるようにすると、気持ちがスッと楽になるのではないでしょうか。あまりご自身を責めないようにしてくださいね。
あるいはペットちゃんが、「自分の元気の姿だけを覚えていてほしい」と思ったのかもしれません。
大好きな飼い主さんには、元気がなくなって、弱くなって、苦しそうに呼吸する自分の姿なんて見せたくない。元気だったころの記憶だけをいつまでも持っていてほしい……。
これも、ペットちゃんのひとつの愛情表現でしょう。飼い主さんのことが大好きだからこそ、「ひとりで旅立つ」という道を選ぶのですね。
どちらにしても、飼い主さんが「看取れなかった」と自分を責めるのをペットちゃんは望んでいません。
「ごめんね、ごめんね」といつまでも涙を流していると、「そんなつもりじゃないのに」とペットちゃんが心配してしまいますよ。
大事なのは、自分を責めることではなく、「死」という事実を受け入れて前向きに乗り越えていくことです。それが、天国のペットちゃんの幸せにもつながります。
「ありがとう」「いつまでも大好きだよ」と、お空に向かって話しかけてあげてください。ペットちゃんは、きっと天国でうれしそうに尻尾を振ってくれるでしょう。
亡くなったペットちゃんにまた会いたい
亡くなったペットちゃんに対して、「また会いたい」と思うのは自然なことです。
「あ、そろそろ散歩に連れていってあげなきゃ。……あ、そうか、もういないんだ……」とぽっかり空いた“日課”で死を実感したり、「あの子が好きだったおもちゃ……」のように遺品を見て思いを馳せたりすることもあるでしょう。
悲しいですが、ペットちゃんの体が再び動くことはありません。
深刻なペットロスにならないためにも、その事実を自分の中でしっかり消化してください。
ペットちゃんは、天国からあなたのことを見ています。
いつまでも悲嘆に暮れていると、あなたのことが気がかりで天国での生活を楽しめないかもしれません。また、生まれ変わるためには成仏が必要ですが、「悲しい顔をしている飼い主さんをこのままにできない」と成仏さえできないことも……。
ペットちゃんと過ごした、たくさんの日々。一緒につくった、たくさんの思い出。
すべて抱きしめて、一歩を歩き出してください。
看取れた・看取れなかったに関わらず、ペットちゃんにとってあなたは一番大切な存在です。あなたが笑顔でいることが、ペットちゃんの幸せなのです。
看取れなくても、あなたの声はペットちゃんにちゃんと届いています。いつでも心はあなたの側にあります。
ペットちゃんは生まれ変わって、きっとまた会いに来てくれるでしょう。大好きだったあなたの元に、あたたかな腕に抱きしめてもらうために。
まとめ
ペットちゃんの最期を「看取れなかった」と嘆く方は数多くいます。
しかし、それはペットちゃん自身が望んだことかもしれません。
飼い主さんに「看取らせたくない」という、ペットちゃんの想い。
「弱っている姿を見せてはならない」という野生の本能によるものかもしれませんし、あるいはペットちゃんからの「元気な姿だけを覚えていて」というメッセージかもしれません。
どちらにしてもはっきり言えるのは、「看取れなかった」と飼い主さんが苦しむのをペットちゃんは望んでいないということ。
看取れなくても、あなたの声はきちんと届いています。魂だけの存在になっても、天国からいつも見守ってくれています。
「ごめんね」よりも、「ありがとう」の言葉を。
いつか生まれ変わって再び出逢う、その日まで。