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2026.08.18

コラム記事

なぜか家にやって来た猫ちゃん――それは偶然ではなかったのかも

「どうしてこの子だったんだろう」

猫ちゃんとの出会いには、不思議なものがあります。

ずっと猫ちゃんと暮らしたいと思い、たくさんの子の中から迎えたご家族もいるでしょう。

知人から譲り受けた子。

保護施設で出会った子。

道端で弱っているところを見つけた子。

そして、ある日突然、自宅の庭や玄関先に現れた子。

出会い方はそれぞれ違います。

けれど長い年月を一緒に過ごしたあと、ふと思うことがあります。

「どうして、あの日この子と出会ったんだろう」

もし少し時間がずれていたら。

もし違う道を歩いていたら。

もしあの日、外へ出ていなかったら。

出会わなかったかもしれません。

そう考えると、一匹の猫ちゃんと家族になることは、とても不思議な出来事です。

もしかすると出会った「あの日」よりもずっと前から、猫ちゃんとの物語は始まっていたのかもしれません。

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猫ちゃんの方からやって来ることがあります

猫ちゃんとのご縁の中には、人間が探したのではなく、猫ちゃんの方からやって来たとしか思えないような出会いがあります。

庭に一匹の猫ちゃんが現れる。

最初はすぐに逃げてしまう。

ところが翌日も来る。

その次の日も来る。

少しずつ近づくようになり、いつの間にか玄関の前で待っている。

そして気がつけば、その家の猫ちゃんになっている。

「猫を飼う予定なんてなかったんですよ」

そんなご家族の言葉を聞くことがあります。

予定していなかったのに、家族になった。

考えてみると、とても不思議です。

猫ちゃんは言葉を話せません。

「ここに住ませてください」とお願いすることもできません。

それでも何度も同じ場所へやって来ます。

もしかすると猫ちゃんには、

「ここなら大丈夫」

「この人なら大丈夫」

と感じる何かがあるのでしょうか。

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出会うべき相手には、なぜか心が動く

たくさんの猫ちゃんがいる場所で、一匹だけどうしても気になる。

そんな経験をする方もいます。

特別に目立っていたわけではない。

一番元気だったわけでもない。

一番人懐っこかったわけでもない。

それなのに、なぜかその子から目を離せない。

一度家に帰ってからも、その猫ちゃんのことばかり考えてしまう。

そして、

「やっぱり、あの子を迎えたい」

と思う。

理屈では説明できない気持ちです。

人と人との出会いにも「なぜか気になる」ということがあります。

猫ちゃんとの出会いにも、同じようなものがあるのかもしれません。

スピリチュアルな考え方をするなら、それは心のもっと深いところで、

「やっと会えたね」

と気づいている瞬間なのかもしれません。

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もし、生まれる前から約束していたとしたら

少し不思議なお話をしてみましょう。

もし私たちが生まれる前に、大切な存在と出会う約束をしているとしたら。

そして猫ちゃんも、

「いつかあなたのところへ行くね」

と約束していたとしたら。

もちろん、それが本当なのかは誰にも分かりません。

証明することもできません。

けれど、そう考えると説明できるような出会いがあります。

たまたま通った道で見つけた猫ちゃん。

たまたま見た里親募集の写真。

たまたま知人から聞いた話。

たまたま庭にやって来た一匹の猫ちゃん。

人生には「たまたま」がたくさんあります。

でも、その小さな偶然がいくつも重なり、一匹の猫ちゃんと十年、十五年、二十年近く一緒に暮らすことになる。

そこまで続くと、

「本当に全部偶然だったのかな」

と思いたくなることがあります。

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猫ちゃんにも「この人」があったのかもしれません

猫ちゃんは家族全員に同じように接するとは限りません。

お父さんの膝にだけ乗る子。

お母さんとしか一緒に眠らない子。

子どもの後ろをずっとついて歩く子。

普段は誰にも抱かれないのに、ある一人にだけ甘える子。

同じ家族なのに、猫ちゃんの中ではそれぞれとの関係が違います。

どうしてそこまで特定の人を好きになるのでしょう。

ご飯をくれるから。

優しくしてくれるから。

匂いや声が好きだから。

もちろん、そうした理由もあるのでしょう。

でも、それだけでは説明できないほど強く結ばれているように見えることがあります。

もしかすると猫ちゃんにも、

「この人のそばにいたい」

と思う相手がいるのかもしれません。

そして、その人に出会うために家族のところへやって来た。

そんな想像をすると、いつもの猫ちゃんの姿まで少し特別に見えてきます。

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出会った意味は、すぐには分からないことがあります

猫ちゃんを迎えたときには、その出会いが自分の人生をどれほど変えるのか分かりません。

小さな子猫を抱きながら、

「かわいいね」

と思っていたその日には、その子との別れの日まで想像することはないでしょう。

でも一緒に暮らしているうちに、猫ちゃんは少しずつ家族の人生の中へ入ってきます。

嬉しい日にもいた。

悲しい日にもいた。

家族に大きな出来事があった日も、いつもの場所にいた。

何年も何年も、家族の変化を見ながら一緒に過ごしてくれた。

振り返ったとき、

「この子がいたから乗り越えられた」

と思う出来事があるかもしれません。

猫ちゃんは何も知らず、ただそばにいただけでしょう。

でも、その「ただそばにいる」ということが、人にとって大きな支えになることがあります。

出会ったときには分からなかった意味が、何年も経ってから分かることもあるのです。

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一緒に過ごす時間にも終わりがあります

どれほど深いご縁で結ばれていても、いつかお別れの日はやって来ます。

猫ちゃんは人間よりもずっと早く年を重ねます。

元気に走っていた子が、少しずつ眠っている時間が増える。

高いところへ簡単に上っていた子が、上らなくなる。

食べる量が減ったり、歩く速度がゆっくりになったり。

ご家族は、その変化を見るたびに、

「もう少し一緒にいてほしい」

と願います。

そして旅立ったあとには、

「もっとしてあげられることがあったのではないか」

「あのとき違うことをしていれば」

と考えてしまうこともあります。

でも、もし本当に出会う前からご縁があったのなら。

猫ちゃんが望んでいたのは、完璧な毎日ではなかったのではないでしょうか。

同じ家で暮らすこと。

名前を呼んでもらうこと。

安心して眠ること。

大好きな人のそばにいること。

猫ちゃんにとっては、その何気ない毎日こそが約束の時間だったのかもしれません。

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旅立ちは、ご縁の終わりなのでしょうか

姿が見えなくなると、

「もう会えない」

という気持ちが大きくなります。

確かに、今までと同じように抱っこすることはできません。

名前を呼んでも返事はありません。

けれど、ご縁というものが本当にあるのなら、それは体がなくなった瞬間にすべて消えてしまうものなのでしょうか。

猫ちゃんを思い出すことがあります。

ふと写真を見たくなることがあります。

夢の中に出てくることがあります。

そして何年経っても、その子の話をすると当時の姿が鮮明によみがえることがあります。

それは、ご家族の心の中で猫ちゃんとの物語が今も続いているからなのでしょう。

スピリチュアルな考え方では、魂のつながりは姿が見えなくなっても続くと考えることがあります。

それが本当かどうかは分かりません。

でも、

「もう全部終わった」

と思うより、

「今は少し離れているだけ」

と思えることで救われる心もあるのではないでしょうか。

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いつかまた見つけてくれるかもしれません

もし魂というものがあり、またどこかで巡り会えるのなら。

大好きだった猫ちゃんとは、もう一度出会えるのでしょうか。

同じ姿ではないかもしれません。

同じ毛色でもないかもしれません。

猫ちゃんとして会うのかどうかさえ分かりません。

それでも、

「大切な存在とは、必要なときにまた出会える」

そんな世界があったら素敵だと思います。

もしかすると次に出会ったときも、最初は気づかないのかもしれません。

でも、なぜか懐かしい。

なぜか目が離せない。

なぜかこの子だけが気になる。

そして心のどこかで、

「知っている気がする」

と感じる。

それが再会の合図なのかもしれません。

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まとめ|「たまたま」の中に、ご縁が隠れているのかもしれません

猫ちゃんとの出会いが、生まれる前から決められているのか。

魂同士が約束をして、この世界で再会しているのか。

その答えを知ることは誰にもできません。

でも、大切なのは、それを証明することではありません。

あの日、確かに出会ったこと。

そしてその出会いによって、たくさんの時間が生まれたこと。

それは紛れもない事実です。

もし、あの日いつもと違う道を通らなかったら。

もし、里親募集の写真を見なかったら。

もし、庭に来た猫ちゃんを気に留めなかったら。

今とは違う人生になっていたかもしれません。

ほんの小さな偶然が、その後の十年、十五年、二十年という時間につながっていく。

そう考えると、「偶然」という言葉だけでは足りないような気がします。

猫ちゃんを助けたと思っていたけれど、振り返れば自分の方が何度も助けてもらっていた。

猫ちゃんに家を与えたと思っていたけれど、その子がいることで自分にとっても家が安心できる場所になっていた。

幸せにしてあげたかったのに、いつの間にか自分の方がたくさんの幸せをもらっていた。

猫ちゃんとの暮らしには、そんな不思議なことがあります。

そして最後のお別れを迎えたとき、初めて気づくこともあります。

「この子と出会えて、本当によかった」

そう心から思えるのであれば、その出会いにはきっと大きな意味があったのでしょう。

旅立ったあと、寂しくて仕方がない日もあります。

会いたくて涙が出る日もあるでしょう。

そんなときは、初めて出会った日のことを思い出してみてください。

あの日、猫ちゃんはどんな顔をしていましたか。

初めて抱いたとき、どんな重さでしたか。

初めて家で眠った場所はどこでしたか。

そこから始まった長い物語は、旅立ったからといって消えてしまうものではありません。

そして、もし猫ちゃんとのご縁が本当にずっと前から続いていたのなら、お別れもまた永遠のお別れではないのかもしれません。

今は少しだけ離れている。

いつかどこかで、また見つけ合う日まで。

そんなふうに考えてみてもいいのではないでしょうか。

もしかすると、あの子は最初に出会ったときから知っていたのかもしれません。

「この人と家族になるんだ」

「この人のそばで生きていくんだ」

そして旅立つときにも、

「大丈夫。また会えるから」

そう思っていたのかもしれません。

だから、大切な猫ちゃんとの出会いを思い返したときには、ぜひ伝えてあげてください。

「あの日、私を見つけてくれてありがとう。」

そして、いつかまた会えると信じたいときには、

「今度も、ちゃんと私を見つけてね。」

きっと猫ちゃんは、いつもの少し気まぐれな顔をしながら、

「もちろん。」

そう答えてくれているのかもしれません。

熊本ペットの訪問火葬メモリーズでは、ご自宅までお伺いし、大切なペットちゃんのお見送りをお手伝いしています。